「民俗学の旅」宮本常一

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「民俗学の旅」宮本常一 (講談社学術文庫)

まち歩きの系譜の中で民俗学まで発展した宮本さんの功績は非常に大きく、内容は非常に深いです。

はじめに、に書かれている文章

「民俗学という学問は体験の学問であり、実践の学問であると思っている」

自身が百姓の家に生まれ生きていくためにその技術を学び実践してきました。前段は祖父、父、母、そしてふるさとを紹介していきます。自分がなぜ全国を歩き、民俗学に関わってきたのかについてその背景や縁のようなものを説明しています。古き良き日本の田舎に見られた温かい人のぬくもり、自分の道がどう決まっていったのか、宮本氏の人生が書かれてます。

「民俗学への道」という本の中で宮本氏はまた次のように言っています。

「民俗学とは、かつて文字を持たなかった民衆社会の中でおこなわれた、文化伝承の方法であった言葉と行為ー慣習的生活ーの記録化と、これをもとにして文化の原型への遡源と、文化の類型、機能を研究しようとするものである。」

農業技術指導をすることで日本の自給率をあげ、豊かな暮らしを実現しようという中から発生した土地土地の生活の技術、これらの伝承者となることが、日本民族の探求の旅でもあったといえます。

決して裕福ではなくボランティアで行っていた活動を中心であっただけに、使命感、志の高さが宮本氏の活動を支えたのではないでしょうか。

歩くことについて。

「私自身にとって歩くというのはどういうことだったのか。歩くことが好きだったのである。歩いていていろいろのものを見、いろいろのことを考える。・・・要するにひとにあい話をすることが好きだったのだろう。同時にまた人の営みを見るのが好きだった。」

「どんなところにも人間の意志が働き、それが現実のものとなっており、しかもその意思と意思には限界があり、限界が境を作っているのである。」

「われわれはただ自然といっているけれども、その自然もよく見るとほとんど人間の手が加わっており、人間の手の加わったものの中にはそこに人の生きてきた姿があり歴史があったのである。」

人生について。

「どのようにささやかな人生でも、それぞれがみずからのいのちを精一ぱいに生きるものはやはりすばらしいことである。生きるということは何かいろいろの意味があるだろうが、一人一人にとってはその可能性の限界をためしてみるような生き方をすることではないかと思う。」

文明について。

「文明の発達ということは、すべてのことがプラスになり、進歩してゆくことではなく、一方では多くのものが退化し、失われてゆきつつある。それをすべてのものが進んでいるように錯覚する。それが人間を傲慢にし、傲慢であることが文明社会の特権のように思いこんでしまう。」

一遍上人。

「口にとなふる念仏を あまねく衆生に施して これこそ常のすみかとて
いずくに宿を定めねど さすがに家の多ければ 雨にうたるる事もなし」

最後に。

「私は長いあいだ歩きつづけてきた。 その長い道程の中で考え続けた一つは、いったい進歩というのは何であろうか、発展というのは何であろうかということであった。 同時に失われていきつつあるものも多いのではないかと思う。

進歩のかげに退歩しつつあるもおんをも見定めてゆくことこそ、今われわれに課せられているもっとも重要な課題でないかと思う。

多くの人がいま忘れさろうととしていることをもう一度掘りおこしてみたいのは、あるいはその中に重要な価値や意味が含まれておりはしないかと思うからである。

これからも人間は長い道を歩いてゆかなければならないが、何が進歩であるのかということへの反省はたえずなされなkればならないのではないかと思っている。」

非常におすすめしたい本です。




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by nichijou-raisan | 2018-07-19 08:54 | レバレッジリーディング | Comments(0)