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「自省録」マルクス・アウレーリウス(岩波文庫)

フジテレビの月9ドラマ「ミステリと言う勿れ」で登場する「自省録」です。
珠玉の言葉がいくつも登場するので読んでみました。

マルクス・アウレーリウスは西暦121年に生まれ、のちに第16代ローマ皇帝となった人物です。決して順風とは言えない人生を伝染病で亡くなる58歳に没するまでに、自分のために書き記した書になります。マルクスの考え方はストア哲学への傾倒から完成したもので2000年の時を超えて、変わらぬ人間の姿、そして悩めるマルクスの姿を想像します。

気になる言葉たち。

第二巻1 この連中にこういう欠点があるのは、すべて彼らが善とは何であり、悪とは何であるかを知らないところから来るのだ。・・・なぜなら私たちは協力するために生まれついたのであって、たとえば両足や、両手や、両眼瞼や上下の歯列の場合と同様である。それゆえに互いに邪魔しあうことは自然に反することである。

第二巻2 この私という存在はそれが何であろうと結局ただ肉体と少しばかりの息と内なる指導理性より成るにすぎない。

第二巻3 神々のわざは摂理にみちており、運命のわざは自然を離れては存在せず、また摂理に支配される事柄とも織り合され、組み合わされずにはいない。・・・全宇宙ー君はその宇宙の一部なのだーの利益ということもある。しかし自然のあらゆる部分にとって、宇宙の自然のもたらすものは善であり、その保存に役立つものである。・・・そして心から神々に感謝しつつ死ぬことができるように。

第二巻4 思い起こせ、君はどれほど前からこれらのことを延期しているか、またいくたび神々から機会を与えて頂いておきながらこれを利用しなかったか。しかし今こそ自覚しなくてはならない、君がいかなる宇宙の一部分であるか。・・・そして君には一定の時の制限が加えられており、その時を用いて心に光明を取り入れないなら、時は過ぎ去り、君も過ぎ去り、機会は二度と再び君のものとはならないであろうことを。

第二巻10 今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることをおこない、話し、考えること。

第二巻12 なんとすえてのものはすみやかに消え失せてしまうことだろう。その体自体は宇宙の中に、それに関する記憶は永遠の中に。

第二巻14 たとえ君が三千年生きるとしても、いや三万年生きるとしても、記憶すべきなんぴとも現在生きている生涯以外の何ものも失うことはないということ、またなんぴとも今失おうとしている生涯以外の何ものをも生きることはない。・・・であるから次の二つのことをおぼえていなくてはならない。第一に、万物は永遠の昔から同じ形をなし、同じ周期を反復している。第二に、もっとも長命の者も、もっとも早死にする者も、失うものは同じであるというkと。なぜならば人が失いうるものは現在だけなのである。

第二巻15 すべては主観であること。

第二巻16 人間の魂が自己をもっとも損なうのは、自分にできる範囲において宇宙の腫瘍や腫瘍のようなものになる場合である。なぜならば何事が起こっても、そのことにたいして腹を立てるのしは自然にたいする離反であって、他のあらゆるものの自然はその自然の一部に包括されているのである。

第二巻17 人生の時は一瞬にすぎず、人の実質は流れ行き、その感覚は鈍く、その肉体全体の組み合わせは腐敗しやすく、その魂は渦を巻いており、その運命ははかりがたく、その名声は不確実である。

第三巻4 すべて君の内にあるものは単純で善意に富み、社会性を持つ人間にふさわしいものである・・・
なぜならば、各人に与えられている運命は宇宙の存在の中に含まれ、またその中に宇宙の秩序をも含むのである。このような人間はすべて理性あるものは同胞であること、またあらゆる人の世話をすることが人間の自然の性にかなうことであることお記憶している。・・・ただ自然に従って生きる人の意見のみを守るべきであることを記憶している。

第三巻14 これ以上さまよい歩くな。だから終局の目的に向かって急げ。そしてもし自分のことが気にかかるならば、空しい希望を棄てている間に自分自身を救うがよい。

第四巻3 そして男性として、人間として、市民として、死すべき存在として物事を見よ。そして君が心を傾けるべきもっとも手近な座右の銘のうちに、次の二つものを用意するがよい。その一つは、事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観から来るものにすぎないということ。もうひとつは、すべて君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということ。宇宙即変化。人生即主観。

第四巻17 あたかも一万年も生きるかのように行動するな。不可避のものが君の上にかかっている。生きているうちに、許されている間に、善き人たれ。

第四巻18 隣人が何をいい、なにをおこない、なにを考えているかを覗き見ず、自分自身のなすことのみに注目し、それが正しく、敬虔であるように慮る者は、なんと多くの余暇を得ることであろう。(他人の腹黒さに眼を注ぐのは善き人にふさわしいことではない)目標に向かってまっしぐらに走り、わき見するな。

第四巻26 すべて起こってくることはそもそもの初めから「全体」の中で君に定められ君の運命の中に織り込まれたことなのだ。要するに人生は短い。正しい条理と正義をもって現在を利用しなくてはならない。くつろぎの時にもまじめであれ。

第四巻40 宇宙は一つの生きもので、一つの物質と一つの魂を備えたものである、とうことに絶えず思いをひそめよ。・・・またいかにすべてのものが共に組み合わされ、織り合されているか、こういうことをつねに心に思い浮かべよ。

第四巻43 時というものはいわばすべて生起するものより成る河であり奔流である。あらゆるものの姿が見えるかと思うとたちまち運び去られ、他のものが通って行くかと思うとそれもまた持ち去られてしまう。

第四巻48 昨日は少しばかりの粘液、明日はミイラか灰。だからこのほんのわずかの時間を自然に従って歩み、安らかに旅路を終えるがよい。

第四巻49 今後なんなりと君を悲しみに誘うことがあったら、つぎの信条をよりどころとするのを忘れるな。曰く「これは不運ではない。しかしこれを気高く耐え忍ぶことは幸運である。」

第四巻51 つねに近道を行け。近道とは自然に従う道だ。

第五巻11 「私は今自分の魂をなんのために用いているか。」

第五巻16 君の精神は、君の平生の思いと同じようになるであろう。なぜならば、魂は思想の色に染められるからである。

第五巻18 生まれつき耐えられぬようなことはだれにも起こらない。

第五巻20 実際我々の精神はすべての活動の妨げになるものをくつがえし、これを目的の達成に役立つものと変えてしまう。かくて活動の妨げになっていたものが却ってこれを助けるものとなり、道の邪魔をしていたものが却ってこの道を楽にするものとなってしまうのである。

第五巻23 存在するもの、生成しつつあるものがいかにすみやかに過ぎ去り、姿を消して行くかについてしばしば瞑想するがよい。なぜならすべての存在は絶え間なく流れる河のようであって、その活動は間断なく変わり、その形相因も千変万化し、常なるものはほとんどない。

第六巻16 ところが自分自身の精神を敬い尊ぶならば、それによって君は自己の意にかなう人間となり、人々と和合し神々と調和する者、すなわちすべて神々の配し定めるところに喜んで服するものとなるであろう。

第六巻27 なぜならば人は一般に自分にとって自然であり有利であることに惹かれるものである。「ところが君はそうでないのだ。」

第六巻30 単純な、善良な、純粋な、品位のある、飾り気のない人間。正義の友であり、神を敬い、好意にみち、愛情に富み、自己の義務を雄々しくおこなう人間。そういう人間に自己を保て。

第六巻31 正気に戻って自己を取り戻せ。目を醒まして、君を悩ましていたのは夢であったのに気づき、夢の中のものを見ていたように、現実のものをながめよ。

第六巻39 君の分として与えられた環境に自己を調和せしめよ。君のなかまとして運命づけられた人間を愛せ。ただし心からであるように。

第六巻42 我々はみな一つの目的に向かって協力している。ある者は自覚と理解をもって、ある者はそれと知らずに。

第六巻47 この世で大きな価値のあることはただ一つ、嘘つきや不正の人々にたいしては寛大な心をいだきつつ、真実と正義の中に一生を過ごすことである。

第七巻2 信条というものは死ぬことはない。

第七巻3 ただし人間各々の価値は、その人が熱心に追い求める対象の価値に等しい、ということを理解していること。

第七巻4 会話に際しては人のいうことに注意していなくてはならない。またあらゆる行動に際しては、その結果生じてくることに注意していなくてはならない。

第七巻7 人に助けてもらうことを恥ずるな。なぜなら君は兵士が城砦を闘い取るときのように、課せられた仕事を果たす義務があるからだ。

第七巻18 変化を恐れる者があるのか。しかし変化なくしてなにが生じえようぞ。宇宙の自然にとってこれよりも愛すべく親しみ深いものがあろうか。

第七巻46 「なんぴとも自己の運命を避けることはできない」と考え、自分の生きるべき時をどういうふうにしたらもっとも善く生きることができたか、これを考慮すべきである。」

第七巻55 いったい自然は君をどこへ導いて行こうとするのか、それを見よ。そもそも人、各々はその構成素質にかなったことをおこなわなければならない。

第七巻59 自分の内を見よ。内にこそ善の泉があり、この泉はたえず掘り下げさせすれば、たえず湧き出るであろう。

第七巻69 完全な人格の特徴は、毎日をあたかもそれば自分の最後のhとであるかのごとく過ごし、動揺もなく麻痺もなく偽善もないことにある。

第七巻74 なんぴとも利益を受けることに倦み疲れはしない。しかるに自然にかなった行為こそ有益なのである。ゆえに人を益することによって自分の身をも益することに倦むな。

第八巻2 一つ一つの行為に際して自ら問うて見よ。「これは自分といかなる関係があるか。これを後悔するようなことはないだろうか。」

第八巻19 万物はそれぞれある目的のために存在する、馬も、葡萄の樹も。なぜ君は驚くのか。太陽すらいうであろう。「自分はある仕事を果たすために生まれた」と。

第八巻26 人間の喜びは人間固有の仕事をなすにある。人間固有の仕事とは同胞にたいする親切、感覚の動きにたいする軽蔑、信ずべく見える思想の真偽の鑑別、宇宙の自然およびこれに従って生成する事柄の観照等にある。

第八巻44 現在の時を自分への贈物として与えるように心がけるがよい。それよりも死後の名声を追い求めるほうを選ぶ人は、つぎのことに気づかないのだ。すなわち未来の人たちも、現在重荷に思われる人びととまったく同じような人間であり、やはり死すべき人間であるということである。

第八巻47 君が何か外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。ところがその判断は君の考え一つでたちまち抹殺してしまうことができる。同様に、もし君が自分に健全だと思われる行動を取らないために苦しんでいるとすれば、そんなに苦しむ代わりになぜいっそその行動を取らないのだ。

第八巻52 宇宙がなんであるかを知らぬ者は、自分がどこにいるかを知らない。宇宙がなんのために存在しているかを知らぬ者は、自分がなんであるかを知らず、宇宙がなんであるかを知らない。

第八巻59 人類はお互い同士のために創られた。ゆえに彼らを教えるか、さもなくば耐え忍べ。

第八巻61 一人一人の指導理性の中へはいって行け。またあらゆる人に君の指導理性の中へ入らせてやれ。

第九巻1 不正は不敬虔である。なぜならば宇宙の自然は理性的動物を相互のためにこしらえ、彼らがそれぞれの価値に応じて互いに益しあうようにしたのであって、決して互いに害しあうようにはこしらえなかったのである。

第九巻11 もし君にできるならば、悪いことをした人間を改心させよ。もしできないならば、かかる場合のためにこそ寛大というものが君に与えられているのだ、ということを思い起こせ。

第九巻23 君は社会組織を補ってこれを完全なものにする部分の一つであるが、それと同様に、君のすべての行為をも社会生活を補いこれを完全なものにする部分たらしめよ。

第九巻42 なぜなら自然は恩知らずの者に対する解毒剤として、優しさを与え、他の者にたいしてはまた他の力を与えたのである。人間も親切をするように生まれついているのであるから、なにか親切なことをしたときや、その他公益のために人と協力した場合には、彼の創られた目的を果たしたのであり、自己の本文を全うしたのである。

第十巻1 すべて現在君に与えられているものは神々から来るものであり、神々の善いと思うものこそ、現在においても未来においても君にとって善いものであることを自分で納得するようになるのであろうか。

第十巻2 ただ自然にのみ支配されている者として君の内なる自然が何を要求しているかを観察せよ。つぎにそれを行え。

第十巻5 何事が君に起ころうとも、それは永遠の昔から君に用意されていたことなのだ。

第十巻15 君に残された時は短い。山奥にいるように生きよ。

第十二巻3 君は三つのものから成っている。すなわち肉体、息、叡智である。

第十二巻20 第一に何事もでたらめに、目的なしにやってはならない。第二に、公益以外の何ものをも行動の目的としてはならない。

第十二巻21 遠からず君は何者でもなくなり、いずこにもいなくなることを考えよ。すべては生来変化し、変形し、消滅すべくできている。それは他のものがつぎつぎに生まれ来るためである。

第十二巻22 すべては主観にすぎないことを思え。その主観は君の力でどうにでもなるのだ。したがって君の意のままに主観を除去するがよい。

以上。









# by nichijou-raisan | 2022-03-22 18:52 | レバレッジリーディング

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「コロナ後を生きる逆転戦略」河合雅司 著(文春新書)

副題は「縮小ニッポンで勝つための30か条」とあります。

まえがき

コロナ禍がもたらした変化は実はコロナ前からの課題であり、積年の課題を可視化したというのが実情だと指摘します。アフターコロナを生き残るには人口減少に備えた新たなビジネスモデルに転換することが必要である。売上高を競う時代は終わり、一人当たり利益をアップさせることが生き残りの策となる。

第一章 先進国脱落ニッポンの逆転戦略

働き手が減ることで消費人口も減っていき、マーケットそのものが縮小せざるを得ない。コロナによる少子化がさらに拍車をかけるといいます。航空産業への影響は訪日観光客が減少し、世界各国にも影響しています。また日本の労働生産性は低く、安い賃金と低消費者を生み出し、また結婚しない若者を増やすことにもつながります。一方で高齢者は20年後には4000万人まで増えるといいます。未来年表が前倒しとなる今、もっと早く高齢化に向かっていきます。

第二章 日本企業は「高品質、低価格」を捨てよう

縮小マーケットで企業が利益を上げる方法。一つは、働き手一人当たりの生産性を上げること。そして商品やサービスに他社にはないオリジナリティをつけ付加価値を上げること。また戦略的に縮むためには事業の柱はひとつにしないことが大切です。他社との連携も可能である。企業はこのコロナを利用して思い切ってビジネスモデルを変えてしまうのも手である。零細企業は単体での勝負ではなく、他の企業との連携を考え、マーケットと対話しながら、製品を作る。モノづくりとサービスの当たり前の原点に立ち返ることが大切である。マーケティングの基本である。

戦略的に縮むためには生産性の向上が不可欠である。そのためには組織内の働き方改革も不可欠である。優秀な人材に挑戦する機会を与えるのである。

DXとは「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化、風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」と経産省は定義している。ここで重要なのは風土を変革して、競争に勝つという点である。

日本から始まる少子高齢化の波は世界中へ広がっていくことを考えるとここに新しいビジネスの芽がある。足腰への高齢者の負担、ペットボトルのふたを開けることなど力が弱っているなど開発の余地がある。日本のメーカーは大量生産、薄利多売をモットーとし均質性を重視してきた弊害でオーダーメイドに弱い。高齢者が困っていることは何か、現在の身体能力、認知能力で使いやすいサイズは仕様はどんなものなのか。

第三章 コロナ後に勝つビジネスパーソンの働き方

コロナ禍で減った残業代は戻らず、今までのような賃金上昇は見込めない。また日本の人口は逆ピラミッド状態で上のポストが空かないため年功序列は維持できない。コロナ前から宿題となっていたデジタル化の取り組みが、思わぬ形で加速したのである。

第四章 縮小ニッポンの新しい生活様式と街づくり

これからは通勤する年数よりも老後の人生のほうが、はるかに長いからだ。長い老後をどう戦略的に縮むかだ。ポイントは自分が暮らすコミュニティを作っていけるところかどうかだ。マンションに永住する上での最大のリスクは大規模修繕である。この大規模修繕のリスクがとりわけ高いのが、タワーマンションである。

第五章 人生の未来年表で戦略的に生き抜く

少なくとも70歳くらいまでは、毎月の収入を得られるようにしておくべきだ。そのためには60歳を過ぎてからの人生マネジメントを、遅くとも40代からは考えて準備しておかなければならない。50代である程度のライフプランを描いて、60代となったら実践していくことだ。50代のうちに自分の資産、人脈、スキルの棚卸をする。経済的な資産、人的なつながりの資産(人脈)の棚卸である。そして最後がスキルの棚卸である。ライフイベントにおいて、日本人が初めて直面している困難が「ダブルケア」である。子育てと親の介護が重なることである。

本文の要点を抜き出しましたが、全体として今、日本で起きている人口減少が及ぼす影響を考えて、どう戦略的に国家、企業、個人が縮んでいくか、またそれをもって、楽しく発展的な生活を目指せるかだと思います。


# by nichijou-raisan | 2021-12-26 00:36 | レバレッジリーディング

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「クロノデザイン」内藤廣 編(彰国社)

大阪の建築系展示会で内藤さんの講演を聞いた際、この本をご紹介されてましたのでさっそく読んでみました。
副題は空間価値から時間価値へ。
セミナーの際はコルビュジェやミースの住宅を題材にして、空間デザインとしては優秀であるものの、住む人や時間の経過に伴う可変性がないため、結果廃墟となってしまい、今見直されているのは、空間デザイン優位から、人や社会の変化に伴い変化し続けることを踏まえた時間価値を前提にした建築や都市が必要ではないかという問いかけでした。

この本では、内藤さんらしく建築から都市、土木、さらに情報という視点から読み解こうとしています。

1,建築をめぐるクロノデザイン
建築は物としてとらえられがちですが、建築の前と後、そして運営というところまで設計者も枠を広げることが必要とされてくるのではないでしょうか。人が体から逃れられない以上、サイバー空間には限界があり、身体を通した出会いの場がより豊かに生きることにつながります。象徴的に出されている場としてはロンドンのトラファルガースクエア。都市の中い人の居場所ができることで都市のイメージが一新しました。そして南池袋公園。こちらも飲食施設を導入した芝生広場ですが、都市のリビングとして楽しむ人=時間を過ごす場を求めていることがわかります。

2,都市をめぐるクロノデザイン
これからの時代、技能労働者が2025年までに130万人減少するといわれており、建築や都市も標準化やモジュール化が必要となります。そして設備もまた更新を前提にした計画が必要となります。これからの建築は更新を前提に構造は強く、内装設備は更新しやすい設計が必要といいます。

3,土木をめぐるクロノデザイン
岩手県大槌町では2030年には人口が半分になるという予測がされてますが、復興に基づく区画整理や高台移転が進められています。人口減少していくイメージが共有されえていないため復興の姿が時間軸欠如によっていびつなものになってしまいます。

4,情報をめぐるクロノデザイン
近代都市がハードの骨格をベースとして発展していくのに対し、アフリカのようなインフラの整わない都市が固定電話を越えて、いきなりモバイルの時代に入っています。その場合、都市の作り方そのものが変わるのではないかという見方があります。情報技術によって個人の力が増大していきます。これからの都市は仮想空間(情報技術含む)と現実空間をどうつなぎ、デザインしていくかが問われています。

5,クロノデザインはいかに可能か
学校を作る時は三十年間ほどの人口動態を予測して規模を決めているそうです。人口動態もあいまいな部分も多いため、横浜市では10年間限定の小学校を作っています。サステイナビリティは持続可能性という点ではクロノデザインといえます。多摩ニュータウンでは開発しつくさないエリアを計画的に作った部分もあるようです。将来の可能性をつくっていくためのクロノデザインの発想です。都市自体動的なものであるとするならば、ある種生命体として考えていくのが自然といえます。

これからの日本の未来を考える上でも貴重な内容です。




# by nichijou-raisan | 2021-12-25 22:42 | レバレッジリーディング

ジョンソンタウン

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埼玉県入間市にあるジョンソンタウンです。元々米軍住居跡を住宅や商業施設に賃貸していてこのエリア一帯をいいます。

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タウン内のサインもアメリカを意識したしつらえになっているので、まさにアメリカを感じることのできる街です。

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露地含めて通り名が付けられています。細かな露地の風景もまたいいです。

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こちらはレストランです。全体的には飲食店と雑貨店が多いですが、他エリアから出店しているお店もあります。ポーチがあることで玄関と通りの間にい中間領域が生まれます。

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車を横付けする感じがアメリカンな印象です。日本の住宅街のような決まった形がないところがいいです。

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フォルクスワーゲンのバンのある風景。平屋住宅のサイディングの塗装と雰囲気がマッチしています。

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12月ということもあってクリスマスの装いも見られます。

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入間市ということでかなり田舎ではあるものの、これだけの街並みをコントロールし、なお人を引き付ける魅力があることがすばらしいです。

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こちらも飲食店。トレーラーの中で調理してくれます。

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アメリカンな街並みは日本ではここだけではないでしょうか。戦後復興住宅の同潤会青山アパートメントの古き姿に通じるものを感じました。これからもその土地の歴史をベースに新しい歴史を作っていってほしいと思います。



# by nichijou-raisan | 2021-12-12 22:24 | X100F

角川武蔵野ミュージアム

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埼玉県所沢市に昨年オープンした隈研吾設計の角川武蔵野ミュージアムです。石の外装が特徴的です。

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天然石の外装は御影石を4万枚も使っているということで驚きです。自然に土地から隆起したようなイメージで設計されたそうです。

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屋外には階段を利用したイベント広場があります。階段に座れば中央がステージです。この日はダンスのイベントが開催されていました。

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本棚劇場という本棚空間。下段は実際に手に取って見ることができますが、上段は触れません。

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実はこの本棚、本棚劇場というだけあって、プロジェクションマッピングが仕掛けられています。本の名前や作家の名前とともにデジタルアートが繰り広げられます。

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これも本との新しい出会いということかもしれません。

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この空間は本棚劇場を過ぎるとブックストリートと呼ばれる本棚空間です。松岡正剛氏監修による9つの文脈に沿って多様な本が並べられています。建築やアートといった内容も網羅されているので一日かけてゆっくり本を読んでみたいところです。

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こちらが入口にある9つの文脈です。

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企画展を行うスペースがあり、俵万智さんの展示がされてました。言葉を表現するのは本だけでなく、展示空間に広げることでより意味や出会いが演出されます。

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こちらは荒俣宏氏の博物コーナーがあり、作家の世界観を感じることができます。

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エントランスロビーにある松岡氏の言葉。深く、そして訴えかけてくる言葉です。


# by nichijou-raisan | 2021-12-12 22:07 | X100F